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多様な世界農業を見る

笛木 昭 著

ソフトカバー A5判

 

はしがき

 島国に生まれ育った日本人は、海の向こうへの憧れを、ことのほか強く持っている人種だと思う。子供のころ、終戦で海外から帰還した旧日本兵の村人に別の村人が“無事で帰ってみれば貴重な経験だったない”と、ある種の羨望を込めた言い方をしていたことや、ひょうきんな上級生が進駐軍を物まねした英語口調を演じていたこと、また、その後の全国津々浦々までの海外旅行ブームなど、日本人の海外志向性をよくあらわしている。聞けば、アメリカ人はあまり国外に関心を示さず、海外旅行に出かけるのはごく一部の人だそうである。

 考えてみれば、わが民族は、近代になってからだけでなく、ヒミコや聖徳太子の昔から海の向こうの文化を取り入れた改革に熱心だった。そして今日では、好むと好まざるにかかわらず、海外との結びつきは深まる一方である。

 筆者も、海の向こうへの好奇心は人一倍強かったが、今と違ってなかなか壁が厚く、全国農業会議所在職中は、何年に一回かの海外農業視察団の事務局員添乗を心待ちしていたことが忘れられない。

 全国農業会議所で新聞記者から農政担当になり、1990年11月末の最終段階と目されたガット・ウルグアイラウンド交渉をブリュッセルに出かけて監視した。このときは全国農業新聞記者も兼ね、国際記者会見(ブリーフィング)など通じて交渉の内側も垣間見たが、EUとアメリカのすさまじいばかりの駆け引きに比べて、わが国は温和(おとなし)過ぎるのでは、と感じたものである(国際記者会見で日本のブリーフィングは全くなかった)。

 案の定、終わってみれば上記関係国は高率関税化と直接払いOKの無血の妥協を遂げたが、馬鹿正直の日本はコメのMA(一定量輸入義務)など多大な責めを負わされ、その後の日本農業は壊滅的である。これらを通じて日本農業の命運は国際化対応の如何にかかっていることを痛感した。

 1997年に広島県立大学で教鞭を取る時、食料政策論と国際農業論のどちらを講義担当するか問われ、躊躇なく後者を選んだ。全国農業会議所時代の取り組みを通して国内農業・食料政策問題には自信があったが、国際農業問題は、これから取り組まねば…と思っていた矢先の課題であった。しかし、これこそ日本農業の命運を制する問題であるとの信念のもとに、あえて担当した。

 そこで、前々からの国際農業ジャーナリスト会議を初めとする海外現地取材や調査にできるだけ出かけた。同会議に以前から出席を重ねていたが、わが国の農政ジャーナリストでその先陣をつけたのは石川英夫氏(時事通信記者:元農政ジャーナリストの会会長)であり、ここに感謝を申し上げたい。

 もちろん未だ足を踏み入れていない地域(中南米や中東、中央アジア)は多く、取材・調査もスポット的である。それでも、繋げてみればアメリカ、中国、チベット、インドなど大国農業の断面とブータンやネパール、スカンジナビアなどの極地農業、チェコやスロバキアなど市場経済化に直面する農業、南アフリカの旧植民地型農業、スイスやオーストリアの環境保全型農業、タイや韓国の日本に続く経済発展と農業の矛盾など、多様な世界農業の一端を足で捉えた自負はある。ほぼここ10年の取材・調査だが、逐次時間が経過しているため取材時点に留意してお読みいただきたい。

 本書の出版に当たって、とくに中国農業調査でお世話になった広島県立大学の藤田泉教授と、出版の労をとっていただいた日本ジャーナリスト懇話会の河上定雄氏に深く感謝申し上げる次第である。

 

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